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安中新田会所跡旧植田家住宅

Author:安中新田会所跡旧植田家住宅

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勝間南瓜(こつまなんきん)のポタージュ

2012.08.31 13:50|未分類
先日、旧植田家住宅で作っているかぼちゃを全部抜きました。
ブログでも何度か取り上げていますが、この南瓜は浪速の伝統野菜のひとつ「勝間南瓜(こつまなんきん)です。
来年植える用の種もとりましたし、ぼちぼち冬野菜の植え付けの準備もしないといけないので。

で、最後まで残っていた勝間南瓜をもらって帰って料理してみることにしました。
とりあえず、クックパッド先生にどういう料理があるか聞いてみました。
かぼちゃサラダやかぼちゃのチーズ焼きとかもおいしそうだったんですが、今回選んだのはかぼちゃのポタージュスープです。
男の料理なんで、細かいところはアバウトです(笑)
基本的な部分で間違っているかもしれないので、そのあたりはご了承ください。m(_ _)m

せっかくなんで、写真撮りながら料理を進めてみました。
多少手間はかかりますが、簡単なのでよかったら参考にしてみてください。
世のだんな様、休みの日に一品作ってあげると奥様に喜ばれるかもしれませんよ(笑)

使う食材はこんな感じ。

120831-01.jpg


 かぼちゃ半分:300グラムくらい?
 たまねぎ:1個(大きければ半分でもいいです)
 牛乳:適宜
 生クリーム(ホイップ):50~100ccくらい?
 バター:20グラムぐらい?
 塩:少々
 こしょう:少々
 コンソメ:1個
 乾燥パセリ:彩りに(もちろん生でもいいです)

さて、まずはかぼちゃの皮をむきます。
日本かぼちゃの皮はむきにくいですが、なるべく丁寧に。
そのほうが仕上がりが滑らかになります。

120831-02.jpg

皮をむいたら細かく刻みます。
できれば5ミリ角程度に。大きくても1センチ角くらいがいいです。

120831-03.jpg

続いてたまねぎをスライスします。
薄めにしたほうが火のとおりがはやいです。
涙が出てきたらがまんします(笑)
使う前に包丁を研いでおくとたまねぎの汁が飛びにくくなるので、目にしみにくくなります。

あ、そうそう。
鉄の包丁は使い終わったら、なるべく早く拭いて乾かしてください。
ほうっておくとすぐに錆びます。
表面だけならまぁ、研げばいいんですけど、錆が中に入り込むと取り返しのつかないことに・・・・・・

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フライパンを熱してバターを溶かし、たまねぎをいためます。
※焦がさないように注意してください。

120831-05.jpg

たまねぎに火が通ったらかぼちゃを投入して、かぼちゃに火が通るまでいためます。
(先にレンジで少し加熱しておくと火のとおりが早くなります。)
※このときも焦げないように気をつけてください。

120831-06.jpg

塩とコショウで少し味をつけておきます。

120831-07.jpg

ある程度火が通ったら水を1カップほどいれて煮つぶしていきます。

120831-08.jpg120831-09.jpg

かぼちゃが煮つぶれてきたらミキサーに入れます。
フードプロセッサがあればそちらのほうがいいかと。
ミキサーだと牛乳で少々薄めてやらないと回らないかもしれません(^^;)

120831-10.jpg120831-11.jpg

滑らかになったら鍋に移し、火にかけながら牛乳で伸ばしていきます。

120831-12.jpg

最後に、生クリームを足してかき混ぜます。
混ぜるときには「8」の字を書くようにして混ぜると均等に混ざります。
と、昔バイトしてたファミレスで習いました。
念のためですが、漢字の八ではなく数字の8ですよ(笑)

120831-13.jpg

さて、おまけですが、メインは懐かしい家庭の味(?)ナポリタンスバゲッティにしてみました。
こちらの作り方は省略で(笑)
※追記「これはボロネーゼでは?」という指摘がありました。そのとおりですね(^^;)

120831-14.jpg

盛り付けてテーブルに並べてみました。
ちなみに我が家はテーブルといすの西洋風ダイニングスタイルではなく、おぜん(ローテーブル)に正座の伝統的茶の間スタイルです(笑)
いまどきこんなメラミン張ったテーブルも珍しいかもしれないですね(^^;)

120831-15.jpg

スープをアップにするとこんな感じ。

120831-16.jpg

お好みで生クリームやコーヒーフレッシュを注いでみてもいいでしょう。

120831-17.jpg

このレシピは西洋かぼちゃでも大丈夫です。
伝統野菜の日本かぼちゃを使って西洋の料理を作るってのがなんとなく面白いかと思ったのですが、食べてみたら普通にかぼちゃのスープでした(笑)

気が向いたらまた伝統野菜の料理をアップしてみたいと思います。


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南海トラフ地震の被害想定

2012.08.30 15:38|未分類
昨日、南海トラフ地震が発生した際の被害予想が発表されました。
先日ののブログのネタとリンクするところがあるので、ちょっと取り上げてみます。

そもそも南海トラフとはなんぞや?ということなんですが、簡単に言うと、四国沖にある海底の堺目です。
ここでは、日本や中国、ロシアなどが乗っかっている「ユーラシアプレート」の下に小笠原諸島や伊豆諸島なんかが乗っかっている「フィリピン海プレート」が潜り込んでいます。

120830-2.png


このとき、フィリピン海プレートはユーラシアプレートを引きずり込みながら進むわけです。
で、ユーラシアプレートが板バネになっていると思ってください。
力をかけて限界が来ると、ビーン!と跳ね返ります。

120831-3.jpg

これがプレート境界型地震と呼ばれるもので、大地震や大津波の原因になると言われているメカニズムです。

このプレートテクトニクスという仕組みが正しいかどうかは議論が分かれていますが、東南海地震は実際、定期的に起こる地震です。
その周期は100年~150年くらいで、最近では昭和19年(1944年)に発生しています。
古くは紀元前から、江戸時代にも何度か起こっており、宝永4年(1707年)の 宝永地震のときには、できたばかりの鴻池新田会所が被害を受けたという記録も残ってるそうです。
うーん……災難(^^;)

さて、最初の話に戻って、この地震が発生した際の被害想定ですが、大津波で大阪府内で3,000ヘクタールが浸水。
地震と津波を合わせた被害者は7,700人という予想が発表されました。

120830-1.jpg


津波の高さは最大で4メートル。
ちなみに、人間が立っていられるのは津波の高さが50センチくらいまでだそうで、1メートルになるとほぼ100%死亡するらしいです。

大津波の時に万が一、沿岸の防潮堤が壊れてしまった場合、大阪市の西側半分は浸水してしまいます。
堺筋、国道26号線あたりから西側は、ほぼ海抜0メートル地帯だからです。
淀川や大和川は最大で5キロメートルにわたって逆流するということでした。
このとき、淀川の南の堤防が決壊すれば、北河内地域も水につかってしまいます。
さらに大和川の北側の堤防まで決壊したら、もはや河内湾の時代に逆戻り。

120827-1.jpg
旧植田家住宅のあるあたりも微妙なところです。

こうなってしまったら、大阪で水につからないのは上町台地に乗っかっている部分くらいです。
でも、その上町台地も上町断層があって……
いやもう、どこに逃げたらいいのかわかりませんね(^^;)

大きな地形を把握して安全な場所を考えておくことも大事ですが、考えてもどうにもならないことはとりあえず、棚上げするしかないですよね。
まずは身のまわりの地形を把握することのほうがが大事でしょう。

とりあえず、家の近くのマンホールの位置を覚えるところから始めてみてはいかがでしょうか。


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夏の風物詩~盆踊り~

2012.08.29 11:26|未分類
八尾市では毎年、8月の終わりに「河内音頭まつり」という、盆踊りが開催されていましたが、今年は、会場の都合で9月2日の開催となりました。
今まで、高校や小学校の校庭が会場だったのですが、今回は久宝寺緑地の陸上競技場・軟式野球場ということで、かなり大規模なものになりそうな感じです。
当施設には「河内音頭は河内のソウル!」なんて言っているスタッフもおりますが……(^^;)
(くわしくは、八尾河内音頭まつり振興会ホームページhttp://www.yaokawachiondo.com/ )をご覧ください。)


では、そもそも盆踊りとはなんなのでしょう?
ちょっと調べてみました。

盆踊りとは元々は仏教行事である。平安時代、空也上人によって始められた念仏踊りが、盂蘭盆の行事と結びつき、精霊を迎える、死者を供養するための行事という意識になっていったようである。室町時代の初めには、太鼓などをたたいて踊るようになったといわれている。現在も、初盆の供養を目的の盆踊りも地域によっては催されている。太鼓と「口説き」と呼ばれる唄に合わせて踊る。口説きは、地区の伝統でもある。初盆の家を各戸を回って踊る所もある。 昔は旧暦の7月15日に行われていた。故に盆踊りはいつも満月であった。
(Wikipediaより)

ふむふむ。
どうやら元々は死者を供養するための念仏踊りの一種なんですね。
言われてみれば、盆踊りの手の動きって、なんとなく念仏を唱えるときの動きと似ているような気がします。


時代が下ると供養という意味は薄れ、盆踊りは人々の娯楽になっていったようです。
暑くてイライラする時期のガス抜きになっていた、なんていう説もあります。
うん、確かにそうかも。
祭りでお神輿担いだり、地車引いたりするのと似た雰囲気な部分もありますもんね。

また、盆踊りは男女の出会いの場になっていたとも言われています。
そういえば、今東光原作の映画「悪名」でも主人公の朝吉がお千代をナンパ(?)して駆け落ちするなんていうシーンもありましたよね。
非日常的な雰囲気で盛り上がり、一夜限りのロマンス……なんてことも実際めずらしくなかったのでしょう。
そう考えると、死者の供養という本来の意味がもつ儚さとは正反対に、命の力強さというか生々しさを感じます。


盆踊りの日が満月だったというのもなんとなくイメージに合いますね。

月明りに照らされて高揚する人々。
ある種のトランス状態の中で交わる生と死の世界……

一説によると、満月は人間を活性化させると言われています。


盆踊りの持つ、独特の熱気の理由がわかった気がします。


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白クマの受難と大阪の地形

2012.08.27 16:43|未分類
昨日の夜、NHKの番組で「フローズンプラネット」というのを放映していました。
温暖化の影響で北極や南極の氷が溶けているという話でした。
一番困っているのはどうやら白クマのようでした。

こういった地球規模での気候変動は今に始まったことではありません。
今の温暖化も、温室効果ガスの影響でないという説もあります。
そのあたりのことはよくわかりませんが、今より地球があったかい時期があったのは確かなようです。

というのも、大阪平野の歴史をみたとき、縄文海進のピーク時には生駒山脈のふもとまで大阪湾(河内湾)が入り込んでいた時期があったからです。

120827-1.jpg


海進のメカニズムは詳しくはわかりませんが、縄文海進の原因は

①氷が解ける
②氷の重さで押さえつけられていた地面が隆起する
③見かけ上の海水が増える
④海岸線が内陸部に入り込む

といった感じみたいです。
氷が解けて水かさが増えたのかと思っていたのですが、どうもそういう単純なことではないようです(^^;)

さて、海進の後に今度は海退が起こり、今の大阪平野ができていくわけですが、その過程で「河内湖」という湖ができました。
4~5世紀ごろには草香江(くさかえ)と呼ばれていたそうです。
この名残は江戸時代まで続き、深野池、新開池という池が最後まで残ります。
この池も、大和川付け替えの後で新田開発されなくなったわけですが、このあたりの土地が低くなっているのは今も変わらないようです。

120827-3.jpg
Flood Maps Powerd by Googl(http://flood.firetree.net/

なので、このあたりは大雨が降ったりすると冠水しやすいそうです。
昭和に入ってからも、かなりひどい洪水の記録があるそうです。
最近のゲリラ豪雨は都市部の排水機能を上回る降水量だといいます。
「低い土地の浸水にお気をつけ下さい」という天気予報の言葉が、僕の中で初めてリアリティをもちました。


国交省のパンフレット見ると、大阪って本当に土地が低いです。

120827-2.jpg


市内の海抜0メートル地帯とか、淀川とか大和川が決壊するとかなりヤバい感じですよね。
淀川や大和川の水面がこんなに高い位置にあるとは……
やっぱりスーパー堤防は必要なの……?
でもあふれてしまえば水が来ることには変わりないですしねぇ……

しかし、縄文時代の名残が今も地形に残っているって、なんかすごいことのような気がしますよね。
あれ?あたりまえの話ですか?


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2012年 アンケート結果

2012.08.26 12:00|未分類
5月5日~7月1日にかけて、旧植田家住宅来館者の皆様にアンケート調査のご協力をお願いしていました。
その集計結果が出ましたので、公表いたします。

enquete.jpg
※クリックすると拡大します。



いまさらですが「旧植田家住宅ってなんだよ?」という方は、当施設のホームページ<http://www.kyu-uedakejutaku.jp/>をご覧ください。


さて、アンケートの結果ですが……

【利用者の性別】
男女比がほぼ半々でした。

【利用者の年齢】
60歳以上の方が半数以上でした。
これはどこの博物館・資料館などでも同じような傾向かと。
若い人は興味がないというよりも、時間と元気がないのかもしれません。(>_<)
ちなみに、一番多い利用者の年齢層は、実際には間違いなく12歳以下です。
子どもたちはアンケートに答えてないので……

【利用者のお住まいの地域】
八尾市内の方が大半を占めるかと思いや、八尾市内の方とその他の大阪府下の方が半々という結果に。
広い範囲からご来館いただいているようです。ヽ(*^^*)ノ
遠いところではカリフォルニアなんていう答えも。
帰省された際にでもお立ちよりいただいたのでしょうか?

【旧植田家住宅を何で知ったか】
その他以外でもっとも多かったのは「知人から聞いた」という回答。
口コミで広まっているようで、ありがたい話です。
印刷物では「八尾市政だより」があいわらず強いですね。
あと、新聞は掲載されると問い合わせとかも一気に増えます。
当施設に来るお客さんの年齢層のもんだもあるとは思いますが、やっぱりなんだかんだでまだまだ力のあるメディアです。
残念だったのが「ラジオ」の0人という結果……(ノд・。) グスン
地域のコミュニティFM局なんで、リスナーが少ないというのもあるとは思うのですが……
八尾とその近郊にお住まいの皆様、「FMちゃお」(79.2MHz)を聞いてください。m(_ _)m
「スポーツ・文化のお知らせ」や「八尾歴史物語」という番組に時々出ています。

その他の結果につきましては、画像をご覧ください。

ここでお聞きしたご意見につきましては、可能な限り運営に反映させていきたいと思っております。

ご協力ありがとうございました。


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地蔵盆

2012.08.25 12:00|未分類
昨日、一昨日と、旧植田家住宅が立地する八尾市植松では、地蔵盆が行われていました。
「八尾地蔵」として有名な常光寺(じょうこうじ)の盆踊りも地蔵盆の日に開催されます。
(ちなみに、このお寺が河内音頭発祥の地だと言われています)


地蔵盆は子どものころは「お菓子がもらえる日」くらいにしか思っていませんでしたが、地域のことを考えるときには結構重要な行事なのではないかと思います。

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えー、地蔵盆というものになじみがない方のために一応説明しておきますと……
古い町には、集落の中にたくさんお地蔵さんがあります。
正式には「地蔵菩薩」という神様(仏様)ですが、この神様は一般に、子供の守り神として信仰されていることが多いです。
なので、子どもの成長を祝ったり、子どもの無事を祈ったりというのが、地蔵盆の目的(?)だと思われます。

それぞれのお地蔵さんには地蔵講(名称はいろいろです)があり、普段から決まった人びとがお世話をしています。
地蔵盆の日には、お地蔵さんをきれいにして開帳し、お供え物やお花なんかで飾り付けをします。
お地蔵さんの周りには提灯がたくさん吊られますが、地域によってはこれに子どもの名前を書いたものを奉納したりします。

120825-2.jpg


お地蔵さんの周りには地域の人がつめていて、子どもたちが行くと、お菓子なんかがもらえます。
お供え物のお下がりですね。
場所によってはお菓子がもらえる時間が決まっていたりもします。
子どもの頃はこれが楽しみで、地蔵盆に行ったもんです(笑)

120825-3.jpg


と、ざっと説明するとこんな感じです。


ただし「最近は子どもの数が減って、提灯の数が昔の半分以下になった。さみしなったわ」なんていう話も聞こえてきました。
都心部では担い手がいなくなって、地蔵盆そのものをやらなくなったというところもあるみたいです。
かと思えば、屋台(?)みたいなのを出して、ちょっとした地域のお祭りという雰囲気になっているところもあります。


ではなぜ、地蔵盆が地域のことを考えるときに重要なのかというと、コミュニティを地縁で考えた時、かなり最小に近い単位で講が構成されているからです。
たとえば、マンションなんかに住んでいると、両隣2、3軒くらいはどんな人が住んでいるか知っているけれども、上下の階の人は顔も見たことがない、なんていうことも珍しくありません。
でも、こういう行事があると、みんなが地面に降りてくるので、普段合わない人とも顔を合わせます。
また、地域でひとつの行事をすることで、みんなが顔見知りになると、たいていはお互いのことを情報交換しあいます。
こうすることで、同じまちに暮らす隣人への理解が進み、些細ことでご近所トラブルがおきなくなったり、ひとり暮らしのお年寄りなんかを気にかけるようになったりもすると思います。
昔の人は信仰をうまく利用して地域間交流をはかっていた、というわけです。


さて、地蔵盆でお菓子をもらえるという話をしましたが、最近はお供えをした家にだけとか、場合によってはチケット制になっているところなんかもあるそうです。
子どもの頃、友達の地域の地蔵盆に行ってもお菓子やジュースがもらえたりしたんですが、もうそういう時代ではないんですね。
お供え物をする家が減ったから配れるお菓子が減った、ということもあるとは思います。
でもおそらく、一番の原因はこういう場面で「もらえるだけもらって当たり前」という考え方の大人が多くなったことと、それを見て育ってしまった子ども……
いろいろとモラルが問われる昨今、致仕方のないところなのでしょうかねぇ。

みなさんの地域ではどうですか?


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パンダと外交、もしくは経済【後篇】

2012.08.24 12:00|未分類
この記事はパンダのかわいさをお楽しみ頂くために、邪魔にならない程度の差し障りない文章をお楽しみ頂くブログです(笑)

※記事中の写真は、2012年8月に白浜アドベンチャーワールドで撮影されたもので、記事には対応していません。

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最初に日本にやってきたパンダ、ランランとカンカン
その2頭のうち、ランランが亡くなったのが1979年9月のことでした。
このとき、5歳だった僕は、上野までパンダを見に行った記憶が鮮明だったのでしょうか、泣きながら「さようならランラン」という新聞記事をハサミで切り抜いたのを覚えています。
(この新聞記事は今でもアルバムに貼られています)

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その後もたくさんのパンダが日本にやってきました。
1986年にトントンが誕生した時が第2次ブーム。
そして、2011年に上野にリーリー、シンシンが来て第3次ブームだと言われています。

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ただ……
上野にパンダが来るか来ないかのころ、マスコミにも取り上げられていましたけど、パンダって中国からのいわばレンタル。
年間のレンタル料(名目は調査研究や保護のためのお金)が1つがいで年間95万ドル(8月19日のレートで7552万5000円)。
しかも、病死したりした場合は5000万円を支払わなければならず、子どもが生まれても中国に返還しないといけないという……
条約で決められているだから、仕方のないことではありますが。

かかる費用はパンダのレンタル料だけではありません。
もちろん、パンダの飼育費や飼育員さんの給料だって必要です。
飼育設備の維持管理費もいります。
その費用が上野動物園の入園料(一般600円)でペイできるのかと考えると、微妙な気がします。
アドベンチャーワールドは上野の1/3ほどしか入場者はいませんけど、入場料が一般3,800円と6倍以上です。
グッズの売り上げも上野よりありそうですし、これならなんとか……
うーん……パンダってものすごくお金がかかるんですね。

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今年、上野でパンダが生まれた時、経済効果は300億円なんていう話も出ました。
実際にそこまでは……という気もしますが、なんとなく明るい雰囲気になったのは間違いないでしょう。
でも、なぜか白浜でパンダが生まれても上野ほど報道されません。
やっぱり東京だということが重要なんでしょうか?
まぁ、アクセスとか人の多さを考えると、白浜では300億なんていう試算は出ないでしょうしねぇ…

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当のパンダはそんな人間の思惑なんてどこ吹く風。
のんびりごろごろと竹をかじってます(笑)
見ているだけでほんわかした気分になれます。

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つまるところ、パンダの効果って外交とか経済とかよりも、「パンダかわいいな~♪」っていうところにつきるんじゃないかと思ったりもします。
殺伐としたニュースが多い中、こういう「癒し」は必要だと思うのですが、そういうところにかかる費用ってやっぱり無駄なんでしょうか?



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パンダと外交、もしくは経済【前篇】

2012.08.23 11:58|未分類
突然ですがみなさん、パンダは好きですか~!?
僕は大好きです(笑)

120823.jpg


上野のパンダの子どもが亡くなったのはとても残念でしたが、近畿には王子動物園やら白浜アドベンチャーワールドがあるじゃないですか!
繁殖もこっちのほうで期待……と思っていたら、白浜で生まれたじゃないですか!
というわけで、休みの日にパンダを見に行ってきました。
赤ちゃんはモニター越しでライブ映像が流れてました。
一瞬しか見れませんでしたけど(^^;)

しかしまぁ、パンダっていう動物は間違いなく、自分がかわいいことを知ってますよね(笑)
人間が求めていることを理解して動いているような気がしてなりません。
気のせいですか。
そうですか。

さて、こんなことばかり書いていても歴史ブログにならないので、日本におけるパンダの歴史ですが……
残念ながら非常に政治色・経済色が強いと言わざるを得ません。

そもそも、日本に初めてジャイアントパンダが来たのが1972年10月28日。
上野動物園に蘭蘭(ランラン)と康康(カンカン)がやってきました。
それは、日中の国交回復記念として中国から贈られた「親善大使」。
つまるところ、外交の一環としてパンダがやってきたのです。

その後、11月5日に一般公開されましたが、この日の入園者はなんと6万人!
ほとんどがパンダ目当てだったでしょう。
いや、すごい。
まだ生まれてなかった僕は、当時の映像なんかでしかこの状況は知りませんが、見ただけでもえらいことになっていたというのはよくわかりました。
動物園の外まで大行列だったのですから……

パンダブームの始まりです。

明日に続きます。


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商店街繁盛記【第4回・最終回】

2012.08.21 12:00|未分類
最後までお付き合いいただきありがとうございます。
「商店街繁盛記」は今回が最終回です。

今回のスタート地点は堺筋線の「天神橋筋六丁目駅」を上がったところ。

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ここから淀川まで北上します。

ここから先はアーケードがなくなります。
商店街と言っても、食べ物屋さん(飲み屋さん)が多いですね。

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仕事帰りのサラリーマンなんかがたくさん集まりそうな雰囲気です。
生ビールが安い!(笑)

120821-03.jpg


あ、でもおしゃれなお花屋さんや、ケーキ屋さんもあります。

120821-04.jpg


この「Alcyon(アルション)」というケーキ屋さん、なかなかおいしいですよ。
あくまで、個人の感想ですが(笑)
たぶん、法善寺にあるお店と同じ系列だと思います。

さて、ここから先に進むとお店はどんどんなくなっていきます。


上のほうを見ると、「天七商店街」という言葉があります。

120821-05.jpg

スカイセブン……?
あ、天(スカイ)七(セブン)か(笑)
でも、商店街というよりはどっちかというと住宅街。
かつては店舗だったのかなというところや、もう明らかに住宅になっているところも。
黒漆喰の長屋風(?)につくられた家が面白いです。

120821-06.jpg

このあたりが商店街の端っこです。
もうすぐそこは淀川(長柄橋南詰)ですね。

120821-07.jpg

長柄橋のたもとには空襲と水害の犠牲者を供養する観音さんが建てられています。

120821-08.jpg

このスペースを利用して、しょっちゅうスピード違反の取り締まりをやってるんで、車や単車で通る人は気を付けてください(笑)

余談ですが、長柄橋は人柱伝説のある橋です。
(現在の長柄橋はこの時代の橋とかなり場所が違うそうです)
父親が、父親自身の言葉のせいで人柱に選ばれてしまったことを悲しんだ娘が、鳴いた雉が射られた様子を見て

「ものいわじ父は長柄の人柱鳴かずば雉も射られざらまし」

と読んだことから「雉も鳴かずばうたれまい」とか「口は災いの元」ということわざになったとかいう碑を、吹田の豊津(垂水神社の近く)でみかけたことがあります。



こんな感じで天神橋筋商店街を端から端まで歩いてみましたが、いかがでしたでしょうか?
商店街の衰退はもはや避けることができないという説もありますが、スーパーで肉や魚を買うことにいまだに抵抗がある僕としては、なんとか存続してほしいと願わずにいられません。

また、最近は買い物難民なんていう言葉もできているらしいです。

「ネットスーパーとか使えばええやん」
という声もありますけど、生鮮食料品の場合、品物を見ないで買うのも不安ですし、なにより、買い物をすることで生まれるコミュニケーションがなくなるのは、さみしいというのを通り越して危機感を感じるような、感じないような……
そういう感じ方自体、古いんでしょうか?

今回紹介した記事の中から「この商店街が元気な秘密がわかったぞ!」という方がいたら、ぜひ教えてください。
複合的な要因があるんでしょうけどねぇ……



それはそうと、天神橋筋商店街は最近、テレビなんかにもによく取り上げられていて、インタビューされていることが多い商店会長さん(土居年樹さんというらしいです)の顔を覚えてしまいました(笑)
いろいろと仕掛けのうまい方なんでしょうね。



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商店街繁盛記【第3回】

2012.08.20 12:00|未分類
さて、商店街繁盛記の第3回です。
第3回は天神橋筋商店街の北半分(JR環状線・天満駅から北)をお送りします。

今回のスタート地点はJR環状線・天満駅の出口のところ

120820-01.jpg


JRのガード下を抜けたところから、いきなり道幅がせまくなります。

120820-02.jpg

ここまでよりどれくらい狭くなってるのかというと……
うーん……1~1.5メートルくらい?
写真ではわかりにくいですが、各店舗が店先に商品を並べているので、もっと狭くなったような感じです。

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ここから先、急激に活気が増します。
斜めに突き出たのぼり。
「天五夜店」と書かれていますが、遅くまで営業してるっていうことでしょうか?
こののぼり、祭りのときの夜店のテントを彷彿とさせる角度です。
実際に歩いてみると、上のほうの視界が遮られるため、かなり空間が狭く感じられます。
人も増えてきた気がします。
密度が上がったせい?

120820-04.jpg

一説によると、賑わいというのは空間を広げると無くなってしまうものらしいです。
そう考えると、あえて狭い道も、斜めに突き出たのぼりも戦略なのかもしれないですね。

くわしくは
関西大学なにわ・大阪文化遺産学研究センターが発行している『前近代のにぎわいと空間演出』
を読んでみてください。
(PDFでダウンロードできます。12.9MB)


アーケードの外にも商店街が広がっています。
下町っぽい雰囲気ですね。
120820-05.jpg 120820-06.jpg

お、なんか懐かしい!

120820-07.jpg

ちなみに、関東には「ひやしあめ」はないらしいです。(知人情報)
さらにどうでもいい情報ですが、サンガリアの缶入りひやしあめは、表に「ひやしあめ」、裏に「あめゆ」と書かれていています。
中身同じで、冷たいかあったかいかによって陳列する向きを変えるという……
なんとも合理的(笑)

このあたりが一番「生活商店街」という雰囲気のあるところでした。
歩いている人も、観光とかいうよりは、近所の人が買い物をしに来ているという風情。
夏休みだからなのか、親子連れが目立ちました。
写真は載せませんが、娘ふたりを左右に、両腕を組まれて買い物をしていたお父さん。
いつまでそうして歩いてくれるのやら……(笑)


さて、アーケードがある部分の端には「大阪市立住まいのミュージアム 大阪くらしの今昔館」があります。

120820-08.jpg

2001年4月にオープンしたこの資料館には、大坂の町家がセットのように再現され、実際に町の中に入っていく気分を味わえるようになっています。
橋下改革の影響で、廃止やらなんやらと言われていますが、面白いので、ぜひ行ってみてください。
料金が一般600円と、やや高めですが、市内在住で65歳以上の方なら、証明書提示で無料で入れます。
ボランティアの方に案内してもらうのがオススメです。
(ちなみに、音声ガイドを借りると、桂米朝がナレーションを担当しています)


さて、アーケードがなくなっても商店街は続きます。

次回「商店街繁盛記」【最終回】です。


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商店街繁盛記【第2回】

2012.08.19 11:48|未分類
かつて、まちには商店街はなくてはならないものでした。
食料品、衣料品、日用品など、そこに行けばすべてがそろっていました。

「安いで安いで~。奥さん、買うてってや~(ダミ声)」

漫画やドラマではなく、商店街ではこんな呼び込みが普通にありました。
世の奥様、お母さんは毎日、朝や夕方には買い物かごを持ってその日の食材を買いに行ったものでした。

そんな暮らしに変化の兆しが見えたのは1970年代。

車社会の到来とともに、自動車で買い物をしに行く人が増えたことで、商店街に足を運ぶお客さんが減り始めたといわれています。
それだけではないとは思いますが、このことに危機感を持ったのか、1974年には大規模小売店舗法が施行されました。
この法律で、500㎡を超える広さの店舗は出店規制されました。
また、出店したとしても、営業日や営業時間などを、既存の商業施設と調整していました。
この時代、まだスーパーと商店街は共存していたと言ってもいいかもしれません。

それが大きく変化したのが大規模小売店舗法に替って2000年に施行された大規模小売店舗立地法でした。
(この法律は、自国の製品を売りたいアメリカの意向が大きくかかわっていました)
これで事実上、大規模店舗が自由に作れるようになりました。
正月に開いている店が多くなったのもこのころからではないでしょうか?
大量に仕入れて安く売る。
そんな手法の大規模小売店舗に個人経営のお店は対抗できなくなっていきました。

ここから、商店街の衰退は二次曲線を描いて加速します。
「シャッター街」なんていう言葉もめずらしくなくなりました。
僕の育った街には、大阪市の「三大生活商店街」のひとつと言われる「駒川商店街」がありますが、ここも例外ではありませんでした。
一時期、食料品を扱うお店がものすごく減った記憶があります。
(今は少し増えてきたような気がしますが、どうなんでしょう?)


そんな状況の中、前回取り上げた天神橋筋商店街は栄えています。
それはなぜなのでしょうか?
コンサルタントでもない僕にはよくわからないので、何か見つかるかと思ってとりあえず歩いてみました。


大阪天満宮のおひざ元、天神橋筋商店街はおなじみのWikipedia先生によると、「南北2.6キロメートル、600店の日本一長い商店街である」とのこと。
また、伝統野菜の記事でちらっと取り上げた「「天満青物市場」を中心として発達した。」ともあります。
おお、偶然にもネタがリンクした(笑)


スタートは天神橋のたもと。
ここから北向きに歩いていきます。
アーケードには「天神橋1丁目」と大書されています。

120819-01.jpg


振り返ると天神橋。

120819-02.jpg


商店街の中に入って見渡すと、怪しいTシャツから海パンまで売ってる楽しい服屋さんも。

120819-03.jpg


少し進むと大阪天満宮の隣に天満天神繁昌亭
定席の寄席はいつも人で賑わっています。

120819-04.jpg


京阪国道を挟んだ向かい側のアーケードを見ると、なにやら大きな人形が。
どうやら、文楽人形のようです。
いやー、派手ですね~。

120819-05.jpg


アーケードに入ると、角のところにに休憩所がつくられています。
関西大学と共同での、駐輪をなくす社会実験だそうで、風情のあるおじさんが休んでおられました。

120819-06.jpg


このあたりの雰囲気は、生活商店街というより心斎橋とかをちょっと泥臭くしたような雰囲気(?)です。
食べ物屋さん、服屋さんなんかが目立ちます。
お盆休みなので、閉まっているお店が多いですね。
それでも、歩いている人はまぁまぁいます。

120819-07.jpg

お、関西大学の巨大な提灯が……(^^;)
どうやら「関西大学リサーチアトリエ」というところが商店街と連携しているようです。
関大の本拠地って、元々は天六ですもんね。

120819-08.jpg



阪神高速の下をくぐって、商店街はまだまだ続きます。

120819-09.jpg


このあたりを西(写真の左方向)に行くと、堺筋線の扇町駅。
南森町からひと駅歩いた感じですね。

そしてやっぱり売ってるアヤシイTシャツ……(^^;)
観光客向け??
外国人が時々着ているのを見かける、変な漢字Tシャツはこういうところで買うんでしょうか?(笑)

120819-11.jpg

ここをもう少し進むと出てくるのがJR環状線の天満駅。
出口(画面右)が商店街に直結しています。
商店街が先か、駅が先か、どっちなんでしょう??

120819-10.jpg


さて

僕はこの先がこの商店街の真骨頂なのではないかと思います。

続きは次の更新で。


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商店街繁盛記

2012.08.16 00:46|未分類
ここ最近、商店街というものが廃れつつある気がします。
24時間営業のスーパーができたり、コンビニが増えたりすると、午後7時で閉店する商店街は確かに厳しいのかもしれないですが、中にはがんばっている商店街もあります。+++

それはやっぱり、生活に密着した商店街。

大阪で、今一番がんばっている商店街は天神橋筋商店街ではないかと思うのですが、いかがでしょうか?

都心に近くて立地的に優位だということもありますが、それだけではない気がします。

というわけで、天神橋筋商店街を端から端まで歩いてみました。





……ありゃ?なんか編集が難しい。


というわけで、

以後、数回に分けてお送りしたいと思いますので、ご期待下さい。


すみません。


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伝統野菜の種

2012.08.14 00:08|未分類
以前から畑の記事をちょくちょくアップしてますが、今回は野菜の種の話をしてみます。

旧植田家住宅で育てているのは「なにわの伝統野菜」という、大阪府が認定する伝統野菜です。
なにわの伝統野菜には

(1) 概ね100年前から大阪府内で栽培されてきた野菜
(2) 苗、種子等の来歴が明らかで、大阪独自の品目、品種であり、栽培に供する苗、種子等の確保が可能な野菜
(3) 府内で生産されている野菜

という基準があります。
よく市場に出回っているF1品種(一代雑種の品種)は種を取っても親と同じ品種にはなりませんが、伝統野菜は固定種なので、実を完熟させると同じ品種の種が取れるのです。
毎年苗を買う必要もない、おサイフにもやさしい野菜です(笑)

今回種を取ったのは
勝間南瓜(こつまなんきん)と玉造黒門越瓜(たまつくりくろもんしろうり)と毛馬胡瓜(けまきゅうり)です。
それぞれの野菜については
http://www.pref.osaka.jp/nosei/naniwanonousanbutu/dentou.html
なんかを参考にしてください。

120814-5.jpg

120814-4.jpg

120814-3.jpg


さて、種の写真を3枚のせましたが、どれがどの種かわかりますか?
ウリ科の種は似たような形のものが多くて、混じってしまうと区別できなくなったりするんですけど、この三種類はすぐに見分けがつきます。

では、上から順番にいきましょう。

野菜の種としてはちょっと大きめで、ビワ型のものが勝間南瓜の種です。
ちなみに、種取り用のかぼちゃはこんな感じになります。

120814-2.jpg


かなりでかくなってるので、2kg近くあるかもしれません。
種を取った後のかぼちゃも料理の仕方次第でおいしくいただけます。


細長い種が毛馬胡瓜の種。
こちらは種取り用の実の写真を撮り忘れました。
もともと長いきゅうりなんで、種取り用の実なら大体50センチくらいになります。
直径は太いところなら5cmくらいはあるかもしれません。
残念ながら、種を取った後の実は食べてもおいしくないです。


最後のちっこいくて長丸い種が越瓜の種です。
種取り用の実はこんな感じです。

120814-1.jpg



食べごろは500mlのペットボトルくらいのサイズなんですが、写真の実だと1リットルくらいは入りそうな感じです。
実は完熟するとメロンのにおいがします。
ものすごくおいしそうなにおいなんです。
でも食べてもぜん甘くないです。
嗅覚が味覚を裏切ります。

取った種は乾かしたあと、封筒なんかに入れて、来年の春まで保管しておきます。
ビニール袋に入れるとカビが生えることがあるので、紙封筒とかのほうがいいです。
種によっては3年くらい前のものでも芽が出たりしますが、やっぱり新しいほうが発芽率は高いですね。


江戸時代には天満に青物市場があって、青果物(果物や野菜)を一手に取り扱っていました。
今で言うと、公設市場みたいな感じですかね?
(最近の若い人は公設市場も知らないらしいですが……)
冷蔵技術のない時代、野菜はすべて地産地消でした。
せいぜい、大八車や川舟で運べる範囲が流通範囲です。
なので、この時代にはおそらく、野菜はみんな地域によって特色があったんでしょう。
気候や土地にあったものじゃないと作れないですしね。
まぁ、本当はそれが自然な形なのかなとは思います。
当たり前のことですけど。


というわけで、今回はこのへんで。

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お中元という習慣

2012.08.12 11:42|未分類
少し時期は過ぎてしまった感もありますが、日本にはお中元という慣習があります。
誰に贈ろうか、何を贈ろうかと迷う方も多いかと思います。
「あそこからは今年もビールが届くはず!」なんてことを期待したり(笑)

でも、そもそもお中元ってなんだ?
というわけで少し調べてみると、中国の道教の行事が起源みたいです。

Wikipedia先生によると

   (旧暦)    (新暦)       (神徳)
上元 1月15日   2月上旬~3月上旬  賜福(福を与える)
中元 7月15日   8月上旬~9月上旬  赦罪(罪を赦す)
下元 10月15日  11月上旬~12月上旬  解厄(厄を祓う)

「中国仏教ではこの日に、祖先の霊を供養する盂蘭盆会(うらぼんえ)を催す。中元と盂蘭盆会は習合し一体化している。日本ではこれがお盆の行事となり、さらに、目上の人やお世話になった人等に贈り物をするお中元が派生した。」とも書かれています。

なるほど、もとは道教の行事なのか。

でも、どうして日本では贈り物をするようになったのでしょうか?

お中元に限らず、バレンタインとか誕生日プレゼントとかのギフトや年賀状なんかも、もらいっぱなしはダメというのがありますよね。
結婚式とか、お葬式でも必ずお返しをします。

こういうのを専門的には「互酬」とか「互恵」なんて言ったりもします。
つまり、贈り物そのものに意味があるのではなく、贈りあう(交換する)ことに意味があるということです。
人間はそうやって社会的な関係を維持していかなくてはいけないことを本能で知っているのではないでしょうか?
だから、お金がかかろうが手間がかかろうがきっちり返礼はする……と。

でもまぁ、ものに限らず、人間の生活ってすべてが互酬的ですよね。

「『のに』がつくとぐちがでる」(by相田みつを)

という言葉もありますが、何かを「してあげた」ら何かを「してもらえる」ことを期待します。
「○○してやったのに……」なんて言うと、なんだか押しつけがましくて、わがまま勝手に聞こえますが、聖人君子でもなければそれが人間というもの。
これを理解していれば、少しは人間関係もスムーズに行くのではないかと思ったり思わなかったり。
うん、とりあえず気をつけよう。


さてさて、お中元やお歳暮をもらってうれしいのはもちろんですけど、個人的に楽しみなのはデパートなんかの売れ残りギフトセール。
おばちゃんたちにまじって、目当てのものがGETできればこれもまたうれしいですよね(笑)



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聞き取り調査のための予備知識(2) ~昭和ヒットチャート~

2012.08.11 16:38|未分類
2012年7月26日現在、年間シングルヒットチャートを見てみると

 1位 180.8万枚 真夏のSounds good!/AKB48(2012/05/23発売)
 2位 143.6万枚 GIVE ME FIVE!/AKB48 (2012/02/15発売)
 3位  64.7万枚 ワイルド アット ハート/嵐(2012/03/07発売)
 4位  61.4万枚 Face Down/嵐(2012/05/09発売)
 5位  59.2万枚 片想いFinally/SKE48(2012/01/25発売)
 6位  56.7万枚 アイシテラブル!/SKE48 (2012/05/16発売)
 7位  55.0万枚 Your Eyes/嵐(2012/06/06発売)
 8位  44.5万枚 ナギイチ/NMB48(2012/05/09発売)
 9位  37.6万枚 純情U-19/NMB48(2012/02/08発売)
10位  31.0万枚 We never give up!/Kis-My-Ft2(2011/12/14)

だそうです。
AKBグループ(?)とジャニーズが見事にトップ10を占拠しています。
このご時世にAKBグループがミリオンを飛ばし続けるっていうのは、やっぱりすごいことなんでしょうねぇ。
商売の仕方は好きではありませんが……
80年代のアイドル全盛期から売れ続けているジャニーズもやっぱりすごいですね。

さて、それが戦前の昭和10~20年のベストヒットになるとどうなるのか。

こうなります。

 1位 人生の並木路    ディック・ミネ 昭和12年
 2位 誰か故郷を想わざる 霧島昇     昭和15年
 3位 湖畔の宿      高峰三枝子   昭和15年
 4位 大利根月夜     田端義夫    昭和14年
 5位 勘太郎月夜唄    小畑実     昭和18年
 6位 麦と兵隊      東海林太郎   昭和13年
 7位 九段の母      塩まさる    昭和14年
 8位 東京ラプソディ   藤山一郎    昭和11年
 9位 別れのブルース   淡谷のり子   昭和12年
10位 裏町人生      上原敏     昭和12年

うーん……さすがにほとんど知らない(^^;)

では昭和20~24年のベストヒットはというと

 1位 青い山脈     藤山一郎、奈良光枝 昭和24年
 2位 リンゴの歌    並木路子、霧島昇  昭和26年
 3位 湯の町エレジー  近江俊郎      昭和23年
 4位 悲しき口笛    美空ひばり     昭和24年
 5位 長崎の鐘     藤山一郎      昭和24年
 6位 異国の丘     竹山逸郎、中村耕造 昭和23年
 7位 東京ブギウギ   笠置シヅ子     昭和23年
 8位 憧れのハワイ航路 岡晴夫       昭和23年
 9位 かえり船     田端義夫      昭和21年
10位 啼くな小鳩よ   岡晴夫       昭和22年

になります。
お、なんか懐メロなんかで知ってる曲があるじゃないですか。


しつこいようですが昭和25~29年のベストヒットは
 1位リンゴ追分   美空ひばり 昭和27年
 2位岸壁の母    菊地章子  昭和29年
 3位お富さん    春日八郎  昭和29年 
 4位君の名は    織井茂子  昭和28年 
 5位上海帰りのリル 津村謙   昭和26年 
 6位テネシーワルツ 江利チエミ 昭和27年     
 7位雪の降る町を  高英男   昭和28年       
 8位東京キッド   美空ひばり 昭和25年      
 9位高原列車は行く 岡本敦郎  昭和29年 
10位白い花の咲く頃 岡本敦郎  昭和25年

です。
美空ひばりが強いですね。
1曲の息が長いのも、この時代の歌謡曲の特徴です。

歌は世につれ世は歌につれ、と言いますが、時代ごとのヒット曲を見ていくと、なんとなくその時代の雰囲気がつかめるような気がします。
そして、歌をきっかけにして、なんとなく昔のことを思い出すっていうことないですか?
今回は、聞き取りのとっかかりにでもなればいいなぁ、と思いつつ、ヒット曲をリサーチしてみました。


ところで、AKBや嵐の曲も、50年くらいたつと時代を語るメロディになっていくんでしょうか?
アイドルが伝統文化になってたりして……(笑)
そうなったら70年代後半あたりから分析してみると面白いですよね。

……いや、とっくにやってる人がいるか。


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南画の窓~武士はいかにして現実世界と戦ったか~

2012.08.09 15:39|未分類
旧植田家住宅に所蔵されている資料の中には、掛軸や扁額などの書画類300点以上あります。
物のよしあしで言えば、玉石混交という感じですが、中には有名人の作品もあったりします。

それらを分類した時、絵の中で最も多いのが南宗画(文人画)と呼ばれるものです。
略して南画(なんが)とよばれたりもします。

120809tyokunyu.jpg
山水画(田能村直入筆)

文人というのは文化人を指す言葉ではなく「学問で人を導く徳をもった人」というような意味です。
対義語としては「武人」という言葉があります。
(ちなみに、武士というのは身分をさす言葉なので、文人の対義語ではありません)

そして、江戸時代の武士というのは、ただ刀や槍を振り回していればいというものではなく、儒教的な道徳心も求められていました。
つまり、武人でありながら文人であることも求められるという、難しい立場にあったのです。

そんな江戸時代には、たくさんの武士が南画を描いています。
それはなぜなのでしょう?

南画の世界というのは、ある種の理想郷を描いた世界です。
そこでは醜い争いはなく、山川(自然)が泰然とあり、自由に心を解放することができます。
いつの時代も世の中というのは人にやさしいとは限りません。
武士といってもひとりの人間。
現実の嫌な世界から逃げ出して、理想の世界に逃げ込みたい思うこともあったでしょう。

しかしながら、真の武士はどんな敵にも背を向けられませんでした。
それは武人としての本能だったのかもしれません。

そんなわけで、現実世界で逃げ出してしまうことのできなかった武士は、南画を描きました。
絵の世界に一時的に逃げ込み、そこで英気を養うことでつらい現実社会を生き抜いたのです。
それを逃避だと笑う資格のある人間が世の中にどれほどいるでしょうか?

半折ほどの紙に描かれた小さな世界。
その理想郷を胸に、現実と戦う武士。
なんだかちょっとカッコイイと思いませんか?


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テーマ:歴史
ジャンル:学問・文化・芸術

オリンピック神話

2012.08.08 18:50|未分類
みなさん、ロンドンオリンピック観てますか~!?

今回のオリンピック、金メダルこそ少ないものの、なんだか入賞している競技が多いんじゃないでしょうか?
テレビ中継が多いからかもしれないですけど、特に団体競技がなんだかいい感じな気がします♪

と、こんな感じで、勝敗の行方に一喜一憂する毎日ですが、そういえば東京オリンピックの頃ってどんな雰囲気だったんでしょう?
その時代に生きていた人のほとんどに、共通体験としてあるものなのでしょうか?
まだこの世に影も形もなかった僕には、いまいちイメージがわいてきません。
東洋の魔女とか言われても、選手の名前はわかりませんし、ヘーシンクがとか、アベベがとか言われても、「ふーん」という感じで、むしろなんとなく、新幹線が思い浮かんでしまいます(^^;)

それでも、第二次高度成長が始まる直前の日本のムードを盛り上げたであろうことは想像できますし、目に見えやすい形で、国際社会の中で自信をつけていくきっかけにもなったのかな、ということもわかります。
そんな成功体験が、どうもオリンピックを神話化しているような気がしてなりません。(万博も同じかもしれないですけどね。)
今も「オリンピックをやれば何かいいことがあるはずだ」という期待感をもっている人も少なくないようですし。
二匹目のどじょうがそうたくさんいるわけないと思うんですけど、悲観的すぎですかね?


そんなことはさておき、ロンドン大会は審判の微妙な判定が多いですよね。
柔道で3-0の旗判定が0-3になったり、ボクシングで明らかなダウンを取らなかったり(これも後でひっくり返りましたが)と、素人目にも「あれ?」っていうシーンが目立ちます。
一生に1回しか出場できない選手も多いオリンピック。
審判もそれなりの覚悟で臨んでほしいものですね。


以上、歴史にも伝統文化にもほとんど関係ない記事でした(笑)


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こどもパラダイス?

2012.08.06 16:42|未分類

 こんにちは。

 久しぶりの、スタッフIです。


 「I は、月に帰った」 な~んて思っておられた方々、残念でしたー(笑)

 ただ、炎天下の中、畑仕事も忙しく、土方焼けにいっそう磨きがかかる今日この頃です。

 しかし皆様、ホントに毎日毎日クソ暑・・いや、お暑い日が続いていますね。

 ここ八尾でも、とんと久しく雨らしきものが降っておりません。

 ここらで一発、ドッカ~ンっと降ってもらわない事には、庭の木たちも

 スーパーなDRYになってしまいそうです・・。(あぁー、飲みた~い )


 わたくしIも、出勤してすぐに

 「あ”~~、帰ってシャワー浴びたいぃぃ」を連呼しております。


  さて、久しぶりのご挨拶は、この辺にして、

 旧植田家住宅は、こどもの来館がとても多い施設なのです。

 近隣の永畑小学校の児童が、普段から学校が終わると遊びに来たりします。(ワラワラと)

 そして「ヒマや~ 遊んで~」だの「なんか遊び道具ないん~?」だの・・・

 なので、去年から「子供用なぞなぞ」と「クロスワードパズル」を

 週代わりで製作しておりました。

 そして只今、夏休み真っ盛り!

 もちろん子どもの数も半端なし!!
 (キミラ ホカニイクトコナインカヨ~? と小声でも、つぶやけない小心者のIでございます)


 そこで、こんなん作ってみました~♪


    DSC_120806-1.jpg

        八尾市近辺のパズル


 DSC_120806-2.jpg

        旧植田家主屋の間取りパズル
       (全て四角く、どこでもハマるので意外と難しいかも)


 DSC_120806-3.jpg

    旧植田家のマスコットキャラクター、切り刻まれた「きゅうちゃん」


 DSC_120806-4.jpg

    そして、わたくしIの心の友 


 さっそく本日来た、高学年の女子に実験台・・いや、チャレンジしてもらいました。


DSC_120806-6.jpg

DSC_120806-8.jpg


 それなりに楽しんでくれたようで良かったです。

 5ミリと7ミリのパネルで作っているので

 湾曲部など切るのが結構大変だったんですよ、こどもたち。(エッヘンっ!)


 *9月2日(日)まで、入館料無料期間となっておりますので

 この機会にぜひ、「旧家の夏」と

 「二の腕下だけ職人色のI 」 をご堪能下されば幸いです。


 追伸:この日の帰り、ドッカーンな夕立に会い
    おかげさまで帰ってシャワーを浴びずにすみました(笑)
 


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聞き取り調査のための予備知識①

2012.08.05 13:53|未分類
現在、植田家住宅がある地域の聞き取り調査を進めています。
集めているのは主に昭和20年代~40年代ごろの話。
特に昭和20年代はじめごろの話は、はっきり覚えている人が多い今のうちに聞いておかないと、もう少ししたら知っている人が減ったり、高齢化で聞き取りが難しくなったりするはず。
昔々のことを考えることも大事ですが、今ある記憶を残すことも大事な仕事です。

話を戻して。
聞き取りのの予備知識として、当時の時代背景を調べてみました。
今回は物価と賃金の推移のお話。
数字が並ぶので、あんまりおもしろくないかもしれないですが……


総務省統計局統計調査部消費統計課物価統計室(名前長いな…(^^;))の「消費者物価指数年報」によると、昭和27年の数値を基準(1.0)とした場合、昭和30年の物価は食料費で1.1、光熱費が1.2、被服費が1.0となっています。
賃金は同じく昭和27年の数値を基準にした場合、昭和30年で1.3なので、賃金変動に連動して物価も上がっているという感じでしょうか?

同じ基準で昭和35年を見ると、食料費が1.2、光熱費が1.3、被服費が1.0、賃金が1.7になります。
賃金の上昇より最低限生活に必要な物の物価の上昇のほうが少ないということは、豊かになってきたということかな。
……と思いきや、住居費が1.6と、結構上がってる。
うーん、これではまだ余裕のある生活とは言えないかな?

もう少し時代を進めて、昭和40年を見てみると
食糧費が1.7、住居費が2.0、光熱費が1.3、被服費が1.2、賃金が2.7。
お、これでかなり余裕のある暮らしになってきてるんじゃないの?
さすが高度経済成長期。

これが昭和50年になると、食糧費が4.0、住居費が3.9、光熱費が2.9、被服費が2.8。
これに対して賃金はなんと12.3!
生活費の上昇より収入の上昇のほうがはるかに多いです。
こうなると、食糧費が上がってるのは、物価が上がったのか、いいものを食べるようになったのかどっちだろうかという疑問も出てきます。

とりあえず、グラフにしてみました。
(かなり適当に作ったので見にくいです。すみません)
bukka.jpg


これをみると、物価の上昇率より賃金の上昇率のほうがはるかに高いのがよくわかります。
それなのになぜ現在、生活がカツカツの人が多いのでしょうか?
税金が高くなってるから?
この統計に出ていない、別の生活必需費用が増えているから?
無駄遣いが多いから?
……謎ですね。(-。-;)


さて、少し前に話題になったのがブータンの「国民総幸福量(Gross National Happiness, GNH)という考え方。
国民のどれだけが幸せだと思っているか、という国にとってはものすごく単純で、ものすごく大切なことです。
2006年に178カ国を対象の行った調査によると

1位→デンマーク 2位→スイス連邦 3位→オーストリア共和国
4位→アイスランド共和国 5位→バハマ国 6位→フィンランド共和国
7位→スウェーデン王国 8位→ブータン王国 9位→ブルネイ・ダルサラーム国
10位→カナダ

という順位で、日本……ん? 90位?(゚ペ)
いわゆる先進国の中では最下位です。( ノД`)シクシク…
……なぜでしょうね?


『目的と手段を混同してはいけない。
経済成長自体が国家の目標であってはならない。
目標はただひとつ、国民の幸せに尽きる。
経済成長は幸せを求めるために必要な数多い手段のうちのひとつでしかない。
そして、富の増加が幸福に直接つながると考えるのは間違いである』
(「選択」5月号「ブータン発「国民総幸福量」という価値観」より)


戦後日本の歩んだ道はどうだったのでしょうか?

なんだか小難しくてよくわからなくなってきたので、今回はこのへんで。


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暑さ対策

2012.08.02 15:54|未分類
最近毎日あついですが、みなさんどうお過ごしですか?
節電、節電と毎日のように聞きますが、さすがにクーラーを使わないと体がもたない暑さです。
ちなみに、エアコンの設定温度は28℃。
午後3時45分現在、事務室の気温は29.2℃です。

120802-1.jpg

動くと汗はかきますが、事務仕事をしているぶんにはまずまず快適です。


庭の暑さ対策には、やっぱり打ち水ですね。

120802-4.jpg


旧植田家住宅では、庭への散水には井戸水を使っています。
井戸水は16℃~18℃前後で1年中安定しています。
なので、夏はかなり冷たく感じます。
これを霧状にして庭にぶわーっとまくと、少し気温が下がります。

120802-3.jpg

そして、上昇気流で風が吹きます。
気化冷却で冷やされた、涼しい風です。
クーラーほどではないですが、実感できる程度には効果があります。
滝の横に立っている感じを想像してもらえればいいかと。
もちろん、直接水をかぶるともっと涼しいです(笑)


最近、スタッフの間で流行っているのがハッカ水。

120802-2.jpg

市販のハッカ油と水を1:100くらいで混ぜてスプレーするだけの簡単なものですが、これが意外に効きます!
スプレーして1分くらいすると、キターっ!!っていう感じになります!
使い過ぎ注意です(笑)
ただし、実際に体温を下げているわけではないので、そのあたりは気をつけないといけません。


こんな風に暑さ対策をしていますが、博物館・資料館の場合、どうしても切れないエアコンがあります。
それは大切な資料を保管している収蔵庫のエアコン。
基本的に温度・湿度とも一定に保つようにしなければなりません。
温度20℃、相対湿度60%というのが一応の基準かと思いますが、それを厳密に守ろうと思うと、かなりの電気を消費してしまいます。
ですので、当施設では、資料に影響の出ない範囲で温度の基準を緩和しています。
そもそも、さほど大きくない収蔵庫なんで人の出入りなどでけっこう影響を受けるのですが(^^;)

何事も臨機応変に……というのが今後の流れになってくるかもしれないですね。


さて、まだまだ暑い夏が続きますが、体に気をつけつつ、夏を楽しみましょう!


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夏の収穫祭

2012.08.01 12:01|未分類
みなさんこんにちは。
今日はひさしぶりに畑の話です。

7月29日の日曜日に、夏野菜の収穫祭をやりました!
ただ、今年は天候のせいか、野菜のなりが悪く「祭」とは程遠い状況に……
毛馬胡瓜(けまきゅうり)にいたっては、ほとんど種取り用のものしかない状態でした。
うーん……よそではどうなんでしょうか?

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さて、気を取り直して収穫の様子です。
ウリ科の植物のツルにはトゲがいっぱいついてます。
バラのトゲのように硬くはないのですが、体をこするとけっこう痛いです。
おそらく野菜の収穫なんてしたことないであろう子どもたちも、スタッフの指導(というほどでもないですが)のもと、生い茂る葉っぱとツルの中から実を探して収穫してくれました。

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とれた野菜は井戸水で洗います。

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日本かぼちゃはしわが深くて、よく砂を噛んでいるのでていねいに……

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と、ここでおどろきの事実が!!


なんと、最近の子どもたちの中にはタワシの使い方がわからない子がいるというではないですか!
……っていうか、え?
こういうのって、わざわざ使い方を習うのものなの??
おどろきつつもタワシのもち方から教えつつ聞いてみると、家にタワシがあると答えた子はゼロ。
確かに、スポンジとかブラシとかを使うことも多いですが、これは意外でした。
いまだにタワシで茶碗やら鍋やらを洗っている僕は、どうやら少数派のようです。


最後はお楽しみの試食会。
今回のメニューは勝間南瓜(こつまなんきん)の煮つけと黒門越瓜(くろもんしろうり)の漬物。

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しょうゆと砂糖でシンプルに味付けされた煮物は、どことなく懐かしい味がしました。

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飽食の時代といわれて久しくなりましたが、食べられることのありがたさは忘れてはいけないですね。
以前、沖縄で自転車旅行をしていた時、ハンガーノック(いわゆる低血糖状態。車で言えばガス欠)でぶっ倒れそうになったことがあります。
本当に体が動かなくなります。
近くにあった自販機でコーラを買ってなんとか回復。
この時、食べることは生きることなんだということを身をもって知りました。

以来「いただきます」という言葉に、本当に感謝の意味を込めるようになりました。
食べたい時に食べられるというのは、幸せなことですね。

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